丸山健二『千日の瑠璃 終結1』六月五日を読む
ー様々なピースに娼婦の人生を重ねてー
六月五日は「私はタバコだ」と娼婦がくわえるタバコが語る。
以下引用文。吐き出されるタバコの煙に娼婦の人生を重ね、「擦り切れた畳の面」や「秋を待つシクラメン」という言葉にも娼婦の人生が重なるようである。煙が夕闇に呑みこまれ、春の憂いに人間愛を重ねる文も、少し疲れた娼婦に人間性を見出そうとする視点と重なる気がする。
話し相手がいなくなったことで
娼婦はたちまち私に興味を失くし
亀をかたどったガラスの灰皿にぽいと投げ棄て、
口のなかの煙といっしょに
法律の裏をかいて生き抜くための虚勢のかけらと
どこかに刻みつけられている
浸しがたい気品をそっと吐き出す。
そしてそれは
擦り切れた畳みの面を滑って
縁側から庭へと降り、
地面に移植されて気長に秋を待つシクラメンのかたわらを通り
いかにも恵み深そうな雰囲気を醸しているうたかた湖が生み出す
夕闇に呑みこまれてゆき、
どこまでも切ない春の憂いが
真っ当な人間愛のごとく濃厚になる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結』192頁)