丸山健二『千日の瑠璃 終結3』六月七日を読む
ー小さな鳥にも母性が宿るー
六月七日は「私は巣だ」と「キジバトの巣」が語る。
以下引用文。キジバトの巣を覗きんだ少年・世一に、キジバトの母鳥は毅然として向かい合う。
小さい鳥ながら母親らしく得体の知れない世一に対峙しようとする心が、「気丈に」「逃げ出そうとはせず」「きっと睨みつけ」「嘴で突いてやろうと身構え」という言葉の端々に現れている。
母鳥の緊迫感が「するとどうだ」で一転して和らげられ、世一が真似るオオルリの囀りと共に消えて心が軽くなる。
「巣」という小さな存在が語る母鳥の大きな愛情が心に残る。
それでも母親は気丈に振舞い
間違っても逃げ出そうとはせず
得体の知れぬ相手をきっと睨みつけ、
もし手出しをしようものなら
視点の定まらぬ目玉を
嘴で突いてやろうと身構え、
するとどうだ
なんと少年は
「なるようにしかならんぞ」という
一端の口を利き
オオルリのさえずりを真似た。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』201頁)