丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し再読する
ー「口笛」という見えない語り手が見えてくる!ー
十月十日は「私は口笛だ」で、十月十一日は「私は噂だ」で、十月十二日は「私は靴だ」で始まる。
不自由な世一が吹き鳴らす「へたくそのひと言ではとても片づけられない 切々たる響きを伴う口笛」を語る以下引用文に、不思議な者としての世一の存在を感じる。
けっしてきのうの延長などではない
未知なるきょうに向かって吹かれ、
控えめな進行ではあっても
確実に狂ってゆくこの世に向かって吹かれ
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」38ページ)
遠くの山々に谺する口笛を描く以下引用文。高峰に寄せる想いに「そういう感情もあるなあ」と気がつく。気持ちが高きへ向かった後なので、世一の口笛に反応する家族の反応がリアルに感じられる。
きらきらと輝く陽光がもたらす風によってはるか遠くまで運ばれ
亡き者の面影を偲びたがる人々が必ず仰ぐ高峰
うつせみ山に撥ね返された私は
ふたたびこの片丘へと舞い戻り、
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」39,40ページ)
「私は靴だ」で始まる文を読み、「靴」で世一の父親の外見から人生、心境をこんなに語れるものか……と丸山先生の観察眼に驚いた。