丸山健二『千日の瑠璃 終結4』八月十五日を読む
ー実体のない語り手の存在を感じさせるにはー
八月十五日は「私は説明だ」で始まる。「少年世一が盲目の少女を相手にだらだらとくり返す 実意を込めた 懸命の説明」が、盲目の少女にオオルリとはどんなものなのか説明しようとする。
鉛筆や牛乳ならともかく「説明」が語る……というのはハードルが高いのかもしれない。だからだろうか?八月十五日の文は具体的に見えるように進み、丸山先生にしては珍しく世一と少女の会話まである。これも「説明」という実体のない語り手に、骨と肉を与えようとしているからではないだろうか?
むしろ見えないことによって培われた想像力が
存分に働き、
おかげで私は
本物を凌駕するかもしれない青い鳥を
ものの見事に
いまだ光を知らぬ胸のうちに飛ばしてやれ、
「どう、わかったあ?」と
そう訊く世一の声に濁りはなく、
「わかったあ」と答えて深々と頷く
相手の笑みは至上のものだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』76ページ)