丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ーまほろ町では育てるのが難しいシクラメンを登場させた心は?ー
十二月二十二日は「私はシクラメンだ」で始まる。「根は不精者のくせに人一倍見栄っ張りの女」に抱えられて、まほろ町にやってきた真紅のシクラメンが語る。
丸山先生はシクラメンがお好きなのだろうか?お庭見学に伺ったとき、シクラメンの中でも丈夫だという、原種の小さなシクラメンが庭に植えられていた記憶がある。
以下引用文を読むと、あらためてシクラメンを大町の気候風土で育てる難しさを思い、まほろ町で育てるのはかなりハードルが高いシクラメンの鉢を登場させた意図を考える。やはりシクラメンが好きなのだろうか?
鼻歌を唄いながらきらきらと輝く瞳を窓の外に向ける女は
たとえ地獄だろうとたちまち馴染んでしまう能天気な雰囲気を醸し、
それに引き換え私の方はそうもゆかず
過酷な自然でいっぱいのこの土地は
園芸種の柔な植物に適しておらず、
寒気のみならず
どうやっても馴染めそうにない原始的な空気が
そこかしこに漂っていた。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」331ページ)
以下引用文。そんなシクラメンが語る世一の姿である。
「クラクションなどものともしない」「クラゲのごとき動き」「もたもたと」と語られる世一にも、語るシクラメンにも、双方にこの世離れした不思議なものを感じてしまう。
そこへもってきて
クラクションなどものともしない少年が
まるでクラゲのごとき動きでもって
前方をもたもたと横切っていた。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」332ページ)