丸山健二「千日の瑠璃 終結」1を少し読む
ー世俗の垢にまみれた存在とは対照的な世一!ー
十一月一日「私はバスだ」で始まる。
「観光客の数を少しでも増やすための窮余の一策」であるボンネットバスが、乗客や運転手や車掌、世一を語る。
噂好きで若い二人の乗客の会話に聞き入りながら、肝心な本質、「二人が駆け落ちしてきている」にまったく気がつかない……この車掌の愚かしさは、作者が嫌う田舎に暮らす人間特有のものなのだろうか?
若い二人を語る口調も辛辣である。
その場を言い繕うことに長け
赤の他人に調子を合わせることが巧みで
特にこれといって目途とするものがなくても易々と生きてゆかれる
そんな手合いで
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」127頁
若い二人がこんなに世間ずれしているだろうか……と疑問も湧くが。
そんな汚泥の中にあるような人間たちとは対照的なのが、最後に出てくる世一である。
若い二人がバスに手を振ると、世一は……
がらんとした通りを横切りつつある少年世一が
私に成り代わって危なっかしい若者に手を振り返す。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」129頁
「危なっかしい」若者も恐れる気配のない世一が、この世の狭苦しい常識を超えた大きな存在に思えてくる。