丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー記憶の断片に自分と重なる顔を見つけることもあるー
スタイルはあっても、いわゆる起承転結できちっと収まるストーリーらしきストーリーがあまりない「風死す」……中々読み進まないという声もちらほら聞く。頑張ってストーリーとして理解されようとしているのではないだろうか……とも思う。
以下引用文にあるように、「通りすがりの他者の生の断片が」「不明な意味を有し」「順不同のまま」「迫り」なのだから、そこにストーリーを見つけようとしたら溺死してしまうのではないだろうか?
そうした 取り留めもない流浪の途中で偶然見かけた 通りすがりの他者の生の断片が
まったくもって不明な意味を有し 順不同のままひとまとめにされて どっと迫り
(丸山健二「風死す」1巻507頁)
507頁の前の数ページでは、およそ40人の生がそれぞれ二行か三行で語られている。読んでいる方は道を通り過ぎる色んな通行人を眺める心地になってくる。
そのうち「あ、これは自分だ」という人物もいてハッとする。例えば以下の箇所。
たくさん語られている人物のうち、よく眺めると自分と似た顔を発見する……そんな楽しみもあるような気がする。
給料から天引きされることで実感が湧かず
そのせいでいつまでも気づかぬ搾取を
ふとした拍子に理解した労働者が
(丸山健二「風死す」1巻505頁)