丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ーとても小さな物で人間を語る面白さ!ー
十一月二日は「私は茶柱だ」で始まり、「あしたへ希望を繋ぐことなど到底不可能な 貧相な茶柱」が世一とその家族を観察する。
茶柱一本でこうも家族の反応が違うのか……それぞれの精神状態を描けるのかと感心する。
以下引用箇所。母親の胃袋へと飲み込まれた茶柱……その目を通して語られる胃の内部や茶柱の様子がどこか物悲しくもあり、ユーモラスでもある。
茶柱一本でかくも人間を語ることができるとは……と思った。
粗末な朝食や
悲哀の断片や
儚い望みなんぞで
ぎっしりと埋まった胃袋のなかであっても
私はかなり無理をして
垂直の姿勢を辛うじて保っていた。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」133頁)