丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー目に見える筈のないものが見えてくる不思議ー
「胸中の母屋に掲げっぱなしだった黒い反旗」が、だんだん動きを止め、消えてゆく……というイメージに託した心の動きがひしひしと伝わってくる。いちいち悲しいとか、苦しいとか書かれるよりも、ただ「黒い反旗」に託して書く方が、心に喚起されるものがあるように思う。
「哲学的抱負の上にぐっと張り出した心の無用な苦痛」という抽象的概念を表す言葉もなぜか情景が見えてくる。「ぐっと張り出した」という建築物を語るような表現ゆえ見えてくるのだろうか?
「魂の奥で密やかに咲く象牙色の花や 大宇宙の最古の星が」という箇所も、見たこともないものが見えてくるようで心惹かれる表現である。
「象牙色」という実際にある色を用いながら、「象牙色の花」という目にしない色表現をすることで、現実には見えない「泣きぬる風を吹かせ」という不思議な光景を見させてくれているような気がする。
養父母を亡くしてからずっと胸中の母屋に掲げっぱなしだった黒い反旗が
まったくと言ってもいいほどはためかなくなってだらりと垂れ下がり
のみならず 今この瞬間に その旗自体が消えてなくなりつつあって
哲学的抱負の上にぐっと張り出した心の無用な苦痛が希薄になり
柔弱な魂の奥で密やかに咲く象牙色の花や 大宇宙の最古の星が
ねっとりと粘つく情念を伴った 泣きぬる風なんぞを吹かせ
(丸山健二『風死す」1巻477頁)