丸山健二「千日の瑠璃 終結」1を少し読む
ーささやかな一語に作者の皮肉を込めてー
十月二十三日「私は脳だ」で始まり、少年世一の脳が語る。
引用文の最初、「世一」と繰り返すことで、世一の存在を強烈に主張している気がする。
さらに「複雑怪奇」から漢字の多い言葉を使うことで、脳らしさ、複雑な機能が伝わってくる。
二番目の段落「健常者と称する」という言葉に、そう言う人達への作者の冷ややかな視線を感じる。
世一の脳、健常者と称する人たちを並べて語ることで、前者の素晴らしさ、後者の欺瞞を描いているのではないだろうか?
いささかの麻痺はあっても
世一を世一たらしめ
世一の自我の拠り所となっている
複雑怪奇な機能にして
単純明快な構造の
美術作品にも匹敵する脳だ。
世一の感情作用が完全に鈍麻していると
実の親ですらそう誤解するのは
ひとえに手足や表情筋の動きがてんでんばらばらで
その手の病魔に浸されていない
健常者と称する人々の日常表現とは
大きくかけ離れているからだろう。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」90頁