さりはま書房徒然日誌2023年11月4日(土)

今日を静かに糾弾しているような塔和子さんの詩「嘔吐」
ぜひお読みください

ハンセン病資料館友の会の方々が、国立ハンセン病資料館映像ホールでドキュメンタリー映画「風の舞」を上映、映画終了後は宮崎信恵監督の講演会という企画を開催してくださった。

映画で初めて塔和子さんの姿を見た。

真剣に詩を書き、自分では動くことのできない体を起こしてもらって読者の手紙の音読に聞き入っている時の真摯な表情が忘れられない。

塔和子さんの言葉が読んだ人の心を救い、読んだ人の言葉が塔さんがこの世に生きている証になっている……そんな風にして、動くことのできない塔さんが言葉で人とつながってゆく姿に心を揺さぶられた。

塔和子さんは昭和4年8月31日生まれ。昭和16年ハンセン病により国立療養所大島青松園に入園。26年に歌人の赤沢正美と結婚して短歌を詠み始め、のち自由詩の創作を始める。平成11年第15詩集「記憶の川出」で高見順賞を受賞。平成25年8月28日死去。83歳。13歳で療養所に入所し70年にわたって療養所で生活した。

宮崎監督が幾篇か塔さんの詩を教えてくださった。

中でも「嘔吐」という詩が、他人の悲惨や不幸を見て冷笑している、そんな現在の状況にも通じるようで心に残った。

この詩に記されている冷笑は実に嫌なものだけれど、実際、今の世は冷笑にあふれている。
人の不幸に冷笑を浮かべて楽しむ……という人間の悲しい性を、塔さんは嫌というほど体験してきたのだろう。

以下、塔和子さんの詩「嘔吐」である。

嘔吐

台所では

はらわたを出された魚が跳ねるのを笑ったという
食卓では
まだ動くその魚を笑ったという
ナチの収容所では
足を切った人間が斬られた人間を笑ったという

切った足に竹を突き刺し歩かせて
ころんだら笑ったという
ある療養所では
義眼を入れ

かつらをかむり
義足をはいて
やっと人間の形にもどる
欠落の悲哀を笑ったという
笑われた悲哀を

世間はまた笑ったという
笑うことに
苦痛も感ぜず
嘔吐ももよおさず
焚火をしながら
ごく

自然に笑ったという

(塔和子さんの詩)


「嘔吐」だけでは悲しいので、きっと嫌な体験をされながらも塔さんが残された「蕾」という詩を以下に引用したい。



最も深い思いをひめて
もっとも高貴な美しさをひめて
もっとも明るい希望をひめて

明日へ
明日へ
静かに膨らみは大きくなる
こらえきれぬ言葉を
胸いっぱいにしている少女のように


つつましいべに色を
澄んだ空間にかざして
ボタンの蕾がふくらんでいる


(塔和子さんの詩)

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