丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー今この瞬間は脈略のない追想でいっぱいなのかもー
以下引用文の後半の方で「著しく脈略に欠けた追憶の目まぐるしさ」と書かれているように、前半は主人公の、いや丸山先生の一瞬の意識に反映されている過去のバラバラの断片なのだろう。
追憶と言えば、美しいもの、甘いもの、哀しいもの……というイメージがあるが、実際には苦いものから格好悪いものまで追憶は様々。
そうしたチグハグな記憶から、私たちの現在の一瞬は成立しているのかもしれない。
ただバラバラの追憶なんだけれど、イメージが喚起されるようにそれぞれの場面がうまく言葉で表されている。
それに「静まり返った法廷」から「連日の大入満員に沸く大相撲」、そして「陸稲の畦道」へ……ほんとうに目まぐるしい追憶である。
比べると、私の追憶はモノトーンの単調な画面かもしれない。
検事の論告に静まり返った法廷を想わせる重苦しさのなかで自身の靴音を聞き
連日の大入り満員に沸く大相撲を余生の糧にする人々が殉教者に思え
陸稲の畦道で松露を掘っていた農夫が急に悪心を催して激しく吐瀉し
アルコールを溶媒に用いた安直な香水が 解熱剤の役目を果たし
すべての紛争の内因は差別待遇にあると 年長けた男が呟き
今冬に病が難路に差しかかるという予感は 見事に外れ
そのような 著しく脈略に欠けた追憶のめまぐるしさが
肉に属する霊の付け根の辺りをちくちくと刺激して
真っ当であるべき思念を惑わせて感傷を抑制し
(丸山健二「風死す」1巻359ページ)