丸山健二『千日の瑠璃 終結3』五月一日を読む
ー粒子にロマンを感じてー
昨日に続けて「私は粒子だ」で始まる五月一日について。
以下引用文2箇所。粒子の無機的な動きに感情を重ね、この世の在り方、人間の運命について想いを馳せる文を読んでいるうちに、「粒子」という感情のない存在から叙情が響いてくる。
その旋律に耳を傾けていると、自分のいる普段の世界が別の空間に思えてくる……。
『千日の瑠璃』の中でも好きな箇所である。
思えば私は若い頃、フランシス・ポンジュの詩とか、無機質な対象を書く詩が好きだった。その名残が今もあるのかもしれない。
私は粒子だ、
その辺のどこにでも無限に存在して
現れたり滅したりをくり返しながら
気随気ままに飛び交っている
落ち着きのない原子核を成す粒子だ。
我ながら惚れ惚れするほど美しい放物線を描いたり
有頂天になるほど完璧な渦をもたらしたりしながら
何処からともなくやってきては
また何処へともなく去って行く私は、
光と闇の配分が絶妙な
整然たるこの宇宙をしかと組成する源であり
重力及び時の流れを制御する支配層であり
存在の存在たる所以を解く唯一の鍵である。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』50ページ)
動くことこそが私の本質であり
核心であり
創造主に課せられた使命そのものであり、
絶え間ない動きは
大小さまざまな変化を生み出し、
変化は誕生と死滅を差し招き、
生と死は互いに申し合わせ
手を取り合って
回転運動に興じる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』52ページ)