丸山健二『千日の瑠璃 終結3』五月一日を読む
ー違う次元から眺めているような美しさー
五月一日は「私は粒子だ」で始まる。「粒子」の視点というのは、丸山先生の素に近いものがあるのだろうか?この箇所は、ひときわ心に残る文がある。明日に分けて見ていきたい。
以下引用文。「粒子」の語るまほろ町は「因果律のいっさいを余すところなく抱えこむ」、少年世一は「麻痺した脳に幾千億個もの恒星の輝きをちりばめている」、オオルリは「魂の形状そのものとしか思えぬ」であり、違う次元から眺めているような美しさが感じられる。
そこへもってきて私は
四方を青い山々に囲繞されてはいても
現世のすべての物象や現象
それに因果律のいっさいを余すところなく抱えこむまほろ町や、
眺望が利き過ぎる片丘のてっぺんに住んで
麻痺した脳に幾千億個もの恒星の輝きをちりばめている
難病によって未来への扉を閉ざされた少年世一や、
そんな病児と奇しき出会いでもって固く結ばれた
魂の形状そのものとしか思えぬ
一羽の若いオオルリをも
しっかりと形成している。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』51頁)