丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ー「モノ」だからこそ「私」が連発されても気にならないし、かえって興味がわいてくるー
十一月二十日は「私は火花だ」で始まる。火花に魅せられて、ストーヴ作りをするようになったーそれも火花がよく見える夜にー男を火花が語る。
書き写していると「千日の瑠璃 終結」には、「私」が本当に多いと思う。
人間でないモノたちが語るからこそ、こんなに「私」が出てくるし、出てきても気にならないのだろう。それどころか「私」って「火花」ではないか、何を言うつもりか?と気になってしまう。
以下引用文。
火花に見惚れる男。その男をじっと見つめる世一の姉。その傍に立つ世一……という構成が、短い行数にもかかわらず、それぞれの心を語って深みを醸しているように思えた。
彼のほかに
垣根越しに私をじっと見つめる者がいて
ひとりの女が我を忘れて……、
否、そういうことではなく
彼女が私に魅了されたわけではなく
私が照らし出す男を注視しており、
そして今そのかたわらには
奇妙よりも奇怪という表現がぴったりの少年が
前後左右に全身を揺らしながら立っていた。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」205ページ)