ジョージ・オーウェル「動物農場」(高畠文夫訳)を読む
ーこれは今の日本と同じではないか!ー
「動物農場」は農園の専制君主ジョーンズ氏を追い出した動物たち。最初は上手くいっていたが、動物たちの権力闘争やら離脱もあって、やがて豚が人間に代わって権力を握りしめ独裁者と化してゆく……というストーリーである。
若い頃の私には「動物農場」の恐ろしさ、面白さがよく分からなかった。いま読んでみれば、まるで現代の日本について皮肉たっぷりに書かれたような作品である。
でも「動物農場」は、解説によれば「ソビエト的ファシズムをの実態を広く世界に訴え、警告を与えたい」という意図のもとに書かれたとのこと。
そうか……いま私がいるこの日本は、民主主義の仮面を被ったソビエト的ファシズムの国なのだ。
以下引用文。
農園主ジョーンズ氏を追放して独立を勝ち取った動物たち。だが主人に支配される状態を当たり前としてきた感覚から、そう容易く脱出できない。まるで私たちのように。
動物たちの中には、自分たちが「主人」と呼んでいるジョーンズ氏に対して忠実であるのは、むしろ義務とであるというものや、「ジョーンズさんが、われわれを養ってくれているんだぜ。もしあの人がいなくなったら、われわれは飢え死にするじゃないか」という、幼稚な発言をするものがいた。
(ジョージ・オーウェル「動物農場」より)
以下引用文。豚の横暴な支配下、厳しい暮らしを我慢している動物たち。でも人間に支配されていた頃はもっと酷かったと、現実を正しく見ることができない。そう、私たちのように。
彼らは、現在の生活がきびしい最低のものであること、しょっちゅう腹がペコペコだったり寒かったりすること、眠っていないときは、たいてい働いていることなど知っていた。しかし、あのころは、たしかに今よりもっとひどかったのだ。彼らは心からそう信じた。
(ジョージ・オーウェル「動物農場」より)
以下引用文。
引退年齢を迎えた馬である。
人間から独立した当初は、引退年齢が定められ、その年になったら労働を免れる筈であった。だが豚が横暴な支配者になるにつれ、そんな話は消えてしまう。
今の日本のようだ。
彼女は、引退年齢を二年も過ぎていたが、実際、ほんとに引退した動物は、まだ一ぴきもいなかった。老齢退職した動物のために、放牧場の一角を保留しておくという話は、とっくの昔に立ち消えになってしまっていた。
(ジョージ・オーウェル「動物農場」より)
「動物農場」の恐ろしさを我が事のように読んでしまう今の日本。だからこそ読みたい本である。