丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ー凡庸な地に詩情あふれる名前を、人間にはいつも同じような名前をつけることで浮かんでくるものー
十一月二十一日は「私は橋だ」で始まる。
「鉄筋コンクリート製の 当たり障りのない形状の 要するに無骨一点張りの橋だ」というロマンに欠けた橋が語り手だ。
正式な名称があるにもかかわらず、町民は「かえらず橋」と呼んでいる。
「千日の瑠璃」に限らず、他の丸山作品もそうだと思うが、ありふれた町や山や橋に、詩情あふれる名前がついている……「まほろ町」「かえらず橋」「うたかた湖」「うつせみ山」「あやまち川」。
それとは逆に人間にはありふれた名前、いつも同じような名前ー男なら忠夫、女なら八重子だっただろうかーがついている。
凡庸な風景に思いもよらない名前をつけることで、平凡な場面が一気にポエジーの域に達する気がする。
そして人間には、いつも同じような名前をつけることで、どんな人間にも共通する想いに集約されてゆく気がする。
以下引用文。なんと「まほろ町」「かえらず橋」「あやまち川」という名前にそぐわない町であることか!
この現実と地名の乖離が、不思議な詩情と幻想へつながってゆく気がする。
あれからすでに十二年という歳月が流れていても
まほろ町にさしたる変化はなく
期待された高利益はもたらされず
いまだに旧態依然たる田舎町の典型でしかなく、
私の下をくぐり抜けるあやまち川と同様
華やかな時代は
ただ通り過ぎて行くばかりで、
文明も文化も
所詮は他人事でしかない。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」207ページ