丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を読む
ー作者と近い存在が語ると言葉が固く、厳しく、理屈っぽくなる気がするー
十一月二十七日は「私は印象だ」で始まる。以下引用文のように丸山先生を思わせる作家が、少年世一に対して感じる印象である。
収入の都合でやむなくまほろ町に移り住み
かつかつの暮らしを維持するために
せっせと小説を書き続ける男の
少年世一に対する当初の印象だ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」230ページ)
丸山先生らしき作家が抱いている印象が語っているせいだろうか。「印象」が語る箇所はすべて言葉が難しく、固い言葉が多く、語調も厳しく、漢字が多いなあと感じた。これは意識してのことなのだろうか?それとも自分の視点に近い位置から語っていたら、無意識のうちに文体がこうなったのだろうか?真相は分からないながら、そんなことを感じた。
のべつ何かしらの助力を誰彼の見境もなく仰ぐ者にして
同世代の仲間から完全に放逐された者であり、
なお且つ
ただそこにそうして存在しているだけで
ただ他人の心の領土を容赦なく蚕食する
始末の悪い厄介者なのだ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」230ページ)