丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ーベンチだからこそ感じられるものー
十一月二十六日は「私はベンチだ」で始まる。語り手のベンチは「悲哀に満ちあふれた 粗末な造りのベンチだ」で、その上に座っている四人の男たちの人生が仄めかされる気がする。
以下引用文。試合が終わっても「居残って 帰宅しようともせず」という老人たちの心の描写に「ああ、やっぱり粗末なベンチのイメージと重なる」と思ってしまう。
そうすることで
きょうという日を少しでも長引かせ、
そうすることで
家族の心の負担を減らそうとしている。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」226ページ)
以下引用文。ベンチに腰かけていた男たちが世一を哀れんで呼び寄せ、ベンチに座らせる。
そのとき
みしっという音を立てたのは
予想外の重さのせいで、
だからといって
体重のことを言っているわけではなく、
魂の重さときたら
それはもう尋常ではなかった。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」229ページ)
ベンチが世一の魂の重さに驚く展開に、今後どうなるのだろうかと楽しみになる。でも「魂の重さ」なんてものを感じられるのはベンチだからこそ。万物を語り手にする「千日の瑠璃」の面白さはここにある気がする。