さりはま書房徒然日誌2023年10月31日

丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」上巻を少し読む

ー丸山文学の文体は変われど、怒りの芯は変わらずー

こうしてチビチビと書いていると、たまには読んでくださる有難い方もいらっしゃるらしい。
中には、丸山文学の文体がかなり変わってしまったから……と最近の作品から遠のいてしまった方も、こうして見てみると丸山文学の芯は変わっていないでないか……。
そう思われたのか、神保町PASSAGE書店の私の棚から購入してくださった方もいらっしゃる。

実際、この独特のレイアウトで「小説じゃなくて詩だ」と敬遠して離れていった読者が多いような気がする。


だが私の知人で日頃それほど文学に馴染んでない人間も、最近の作品、このレイアウトで描かれた「おはぐろとんぼ夜話」から丸山文学に入って、すっかりハマってしまった。
知人は文学にほとんど関心なかったのだが、社会への怒りの炎をたぎらせていた人間だ。
その怒りのポイントが丸山文学とぴったり一致、「よくぞこの思いを語ってくれた!」という気持ちになるらしい。

「うまく言葉にできないでいる怒りを代弁してくれている!同志よ!」的感覚で読むことのできる方なら、丸山文学の文体が変わっていっても追いかけることができるのかもしれない。

以下、引用箇所も怒りを分かち合える人、そうでない人に分かれる箇所で、丸山文学が好きになれるかどうかの分かれ目になるポイントの一つかもしれない。

まず最初は、アナーキストのシンボルカラーの黒にも例えられた黒牛を語る箇所。
牛であって、でも牛ではないアナーキスト的存在の不思議さ。
これが人間として語られると、矛盾とか反感とかあると思うけど、牛だもの。思わず頷くしかない。

絶え間なき心変わりとはいっさい無縁そうな
まったき存在者としての
この牡牛にしっかりと具わり
特徴づけているのは

もっぱら真理のみに訴える
事をなすための生きた力であり

あくまで心眼に依拠した
事物の終わりまで看破できる
素晴らしい予見能力であり

苦悩の棘をあざやかにぬき取ってくれる
底なしの優しさであり

権力の中枢を狙って撃つ
無言の銃弾であり

強者の権利から派生する
いかなる誤りをも正さずにはおかぬ
真剣味であり

社会の底辺にうごめく
物言う術すら知らぬ
卑しく育たざるをえなかった人々にそそぐ
慈愛の眼差しであり

そして
生命のけなげな要求に救済の光を当てる
神の視点である

(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」上巻105頁)

以下の箇所は牛の角にとまった鳥の言葉だが、日本の歴史をどう俯瞰するか……で頷く人、否定する人に分かれる箇所だろう。
頷く人間にとっては、こういう歴史観で語ってくれる書き手の存在にただ感謝あるのみだ

理性の光の前に砕け散らぬ戦争はない!

敗戦のおかげで圧政の濃い影の下に立たなくてもいい時代が到来した!

未開の精神に支えられた国体をつらぬく死は
反楽園を楽園に変えるであろう!

だが
心せよ!
新たな悲劇の幕開けかもしれん!

なぜとならば
国民の塊に深々と突き刺さった毒針としての天皇は
まだ完全にはぬけ落ちていないからだ!

暴力が猖獗(しょうけつ)を極める時は
えてして知らぬ間に差しせまっているものだ!

武装解除できぬ世界は
死に瀕する世界にすぎん!

(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」上巻126頁)

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