丸山健二『千日の瑠璃 終結3』七月九日を読む
ーふと見える作者の素顔ー
七月九日は「私は浮きだ」で始まる。
「効果抜群の 夜釣り用の浮き」が語る鯉釣りをしている男。若い頃、やはり夜に鯉釣りをしていた……という丸山先生ならではの、対象への同化が感じられる。
「おのれの気配を消して闇に成りきり あるいは水に成りきって」という言葉も、体験から語っているのだなあと作者の素顔が感じられる。
それにしても鯉釣りに「他の時間は死んだも同然」とまで思うものなんだろうか……と釣りを全くしない私は不思議に思いつつ、そうなんだろうなと納得させる迫力がある。
丈夫一点張りの鯉釣り用の竿を握る男は
おのれの気配を消して闇に成りきり
あるいは水に成りきって
ひと晩に一度あるかなしかの
ときめきの嵐をひたすら待っている。
狩猟本能に直結した感動が
さながら電流のごとく全身を駆け巡るあの一瞬のために
彼は過酷なこの世を生きており、
つまり
他の時間は死んだも同然ということになり、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』326ページ)