丸山健二『千日の瑠璃 終結3』七月八日を読む
ー足音に想いを宿してー
七月八日は「私は足音だ」で始まる。「疲労困憊して帰宅した少年世一」が階段を登って行く足音に、風邪で伏せっている母親は耳を傾ける。
以下引用文。階段を登って行く足音に、母親は「長男の孤独の深さを今さら思い知り」と世一の孤独に思いを寄せる。ふだんは世一を見ないようにしている母親が、ふと情味を取り戻すようでハッとする一瞬である。その衝撃が「 わが子に見切りをつけて久しい事実を 突如として再認識」させる様に、ふだん世俗にまみれて生きているお母さんに、自分の内面を見つめさせる世一の力を思う。
おのれが辿った五十数年をそっと抱き締めながら
私に耳をそばだて、
そして
長男の孤独の深さを今さら思い知り
少なからず衝撃を受け、
併せて
わが子に見切りをつけて久しい事実を
突如として再認識し
愕然となり、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』322ページ)
以下引用文。最後の部分。雨音に孤独を募らせてゆく母親の心、「私は消え失せる」という静かな諦念に満ちた終わり方が心に残る。
丘を駆け下る水の音がさらに強まって
世一の母の耳を塞ぎ
ついでに心までも塞いでしまい、
彼女は毛布にひしと抱きつき
世一は鳥籠にしがみつき
そして私は消え失せる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』325ページ)