丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー二行の文に一つのストーリーが凝縮されている!ー
495頁「されど 命旦夕に迫った今となって 生々しくも思い出されてならないのは」という文のあと、「〜でもなく」という否定で終わる文が12続く。
そのあとで「たとえば」で始まる思い出される事柄を記した文が27続いた後、最後「かれらの記憶が 束になって 寄せる」(503頁)と締め括られる。
この辺りの文の形で戸惑い、分からなくなってしまう人が出るのかもしれない……。
でも、英語圏の小説家にはこういう文を書く人がいたような記憶がある。not で始まる文が連続、for example で始まる文が連続……という英文に苦しんだ記憶があるのだが。はて誰だったのだろうか。
戸惑うかもしれないが、慣れてしまうと12篇の小説が、27篇の小説が凝縮されて並んでいるようで楽しい。
以下引用は、そんな思い出されることを記した27の文のうちの一つである。
戦中の体験に不快の念を持って未だに翻弄されつづけながら
皇室に冷然たる眼差しを投げかけられない高齢者であり
(丸山健二「風死す」1巻498頁)
こうした二行単位の文に記された死を間近に控えた青年の記憶……わずかな文だけで自分の頭の中にストーリーが浮かんでくるような気がする。