丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー行が進むにつれて平仮名濃度がアップして文が軽やかになってゆく!ー
以下引用文は、33字のうち平仮名は13字だけ、残り20字は全て漢字である。
最近の国語の教科書が目指す分かりやすい実用的な文章とは、真っ向から喧嘩をしているような文である。
こんなふうに漢字にこだわることで、文にどんな影響があるのだろうか?
まず私の場合、意味のわからない、あるいは読めない漢字を調べるから、必然的に文章に向かい合う時間が長くなる。
それから漢字には、特に普段使われていない漢字には、意味だけでなく部首や形から、イメージを膨らませる効果があると思う。
だから短い語数でも無限に世界が広がってゆく気がする。
でも、これだけ漢字が多いと、普通は硬くて読みにくい文になりそうな者だが、そんなことはなく流れるように進んでゆく。
なぜか?
最初の行の平仮名4字/全体13字
二番目の行の平仮名4字/全体11字
最後の行の平仮名5字/全体9字
各行の平仮名の数は変わらないようでいて、行が進むにつれて平仮名濃度が濃くなってきている。だから風が抜けるような軽やかさが増してきているのかもしれない。
日本語は漢字、平仮名のリズムで成立している複雑な言葉(本来は)なんだと思った。
都邑に漲る空虚な喧騒の最中
抒情的で不羈なる譚詩が
次から次へと浸出し
(丸山健二「風死す」1巻466頁)
ちなみに読めなかったり、意味が分からなかった言葉を日本国大辞典で調べて以下にメモ。
ふ‐き 【不羈・不羇】
(形動)
(「羈」「羇」はともにつなぐ意)
しばりつけることができないこと。束縛されないこと。あるいは、才能や学識があまりにもすぐれていて、常規では律しにくいこと。また、そのさま。
たん‐し 【譚詩】
({フランス}ballade の訳語)
中世ヨーロッパの吟遊詩人によって歌われた歌謡の一形式。多くは神話・伝説に基づいた物語の要素を伴うが、文芸の分類では抒情詩に属する。譚歌。バラード。