さりはま書房徒然日誌2024年1月24日(水)

丸山健二「風死す」1巻を少し再読する

ー今日の状況を語るような文ー

まさに今日、私たちが置かれている状況を語るような文が心に残る。
二番目の「遠い遠い」と重ねることで、実現不可能な未来への悲しみが強く伝わってくる気がする。
「平和」が「非現実の典型となって眼前に横たわり」という抽象的な主語が具体的な動作をとる形の文……なぜかダリの絵が浮かんできた。

人類においては至上至高の情熱の発露であるやも知れぬ 宿命的な戦争行為がもたらす
  破滅に直結して破局の一端を担う 現世の恐ろしさに気づいてもどうしようもなく


  永遠の安寧を吹きこんでくれ 晴朗の心地が遠い遠い未来までつづくはずの平和が
    透徹した理解など断じて得られない 非現実の典型と相なって眼前に横たわり


(丸山健二「風死す」1巻450頁)

丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む

ーどこかユーモアのある表現ー

十月二十日「私は写真だ」と、まほろ町町役場を飾る六十年前の航空写真が語る。その口調は、田舎の社会にかなりうんざりしている。航空写真も、不自由な少年世一の不思議さに気がつく。

うたかた湖の北の外れに
   ぽつんと点のように映っている淡い影が
      鳥の形に似た人間の屍であるなどと
         そう言って少年が騒ぎ立て

(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」81頁)

十月二十一日「私はボートだ」とおんぼろボートが語る。世一を憐れんだボートは、一緒に湖底に沈もうとするが……。
「遠慮がちに差し出す死の優待券」という表現に、なんとも言えないユーモアがある……英語圏の小説なら、こういう表現はある気がするが、日本の小説では珍しいのではないだろうか?

私が遠慮がちに差し出す「死の優待券」には目もくれず
   不自由な体ながらも元気いっぱい生の道を歩みつづけていた。

(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」85頁)

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