丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」上巻を少し読む
ー盲目の娘の輝ける生命、死、不甲斐ない人の世のコンストラストがひたすら美しいー
盲目の瞽女の娘は自死を思いとどまる。
蝶の群れが彼女を追いかける描写は、先ほどまで盲目の娘を追い詰めていた死の世界とコントラストをなすようで、ひたすら美しい。
蝶は「死」のシンボルでもあったと思うが、丸山文学の蝶は生の喜びに輝いている。
「敬慕の情を表す」なんて表現は、毎日庭仕事をされて、たぶん蝶も身近に感じている丸山先生ならの思いではないだろうか。
太陽の熱が高まったせいで
思う存分怠惰に惚けたくなるような上昇気流が実感される頃
清々しい涼気に富んだ亜高山帯にのみ生息する
大小さまざま
色とりどりの蝶が
蜜たっぷりの花でも発見したかのように
いっせいに娘をめざして飛来し
その一匹一匹が
優雅にして華麗な飛翔により
誰あらぬ彼女にむけて敬慕の情を表す
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」387頁)
以下の引用箇所。戦後の不甲斐ない時代を、娘の生命力と対比させることで鮮やかに描いていると思う。
そうした娘が
高地であるにもかかわらず草いきれがむんむんする草の原を
戦時下よりもさらに悲惨さが増すことになった貧困を
敗戦によってもたらされた凋落した時代を
自由を得てもまだ個性の消滅している社会を
無限に細分化されてゆく民主の気風を
大局的に自主性を消失したままの不甲斐ない国家を
淀みながらも滔々と流れる大河のごとき
しなやかな動きでもって
苦悩の縛めを永久に解いてくれない現世を
堂々と横切って行くさまは
ただもうみごとと言うほかない
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」396頁)
以下、引用箇所。
「錯誤の時代はひとまず去った」とある。
だが今まさに渦中にある人の世を書いているようだ……。
やはり戦の世になると眠くなる巡りが原はもう眠りに落ちているかもしれない……と思いつつ読む。
どう飾り立てて見せたところで国家の面汚しにすぎぬ現人神の前に諦めをもって膝を屈するしかない
無謀にも権力支配の永遠化を大真面目に図り
民衆浄化の悪臭をぷんぷんさせ
帝国主義の衣を剥がす正義の問いにたいして忌まわしい凶行でしか答えぬ
そんなはなはだしい錯誤の時代はひとまず去った
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」405頁)