丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』を途中まで読む
ー何を象徴しているのかと立ち止まって考える楽しさー
『水葬は深更におよび』は、作品中の物や人が、何かの象徴にも思えてくる。
例えば「存在と無の境界」であるかもしれない「渡らず橋」とは?
生と死の境目、三途の川のような存在?
それとも現在、過去、未来……時の流れにかかっている空間?
ひどく悲しい目をして、
しばらくのあいだ
存在と無の境界に当たるのかもしれない橋の袂で呆然と佇んでいたが、
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』115頁)
以下引用の木こりの様子を読んでいると、信濃大町で庭仕事をしながら過ごされる丸山先生の姿が浮かんでくる。
父親の遺体を抱えた喪服姿の木こりは丸山先生なのか?
ただひたすら日々の心情の要求に従い、
自然の掟を蔑ろにしないように心を配り、
変化する草木に合わせて魂を千々の色に染め、
緑がかった風に溶けこみながら飛び去る四季をやり過ごし、
おのれの静かな影を相手に無理のない黙考にふけり、
自分と世界を結ぶ絆を何よりも大切にし、
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』147頁)
文の奥に秘められた意味や象徴を考えてゆっくり読む……。
それが本書の楽しさの一つである気がする。