丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』を途中まで読む
ー自然を語る言葉がいつしか哲学を語る言葉となり、
はっきりと分からないかもだけど心地よくなるー
「夢の夜から 口笛の朝まで」に収録されている二篇目の短編である。
一篇目同様にやはり吊り橋「渡らず橋」を中心に、まるで「渡らず橋」が人間であるかのように語られてゆく。
この「渡らず橋」の擬人法が面白く感じられるのは……。
吊り橋というものが人間が使うものでありながら、同時に眺めたり、感慨に耽ったり、あるいは揺れに怯えたり、人生そのものみたいな存在でもあるからなのだろうか?
擬人法を使うときには、対象とするものを選ぶことも大切なのかもしれない。
冒頭で語られる夏空の美しさ。
その中で平穏に過ごす「渡らず橋」。
それが雷で一変してゆく展開の鮮やかさ。
急変した天気をきっかけに不確実な生を語る文につなげる展開……。
さりげなく作者の哲学を滲ませる文の展開に頭がついていけていないかもしれないが…。
でも意味がわからなくても前の雷の描写ですでに満ち足りている。
だから意味が完全に分かったとは言えなくても、分かっているような誤解をゆるりと楽しむことができる気がする。
もしも運命が許すのならば、
心温かい知性と物怖じ抜きの内向的な一貫性をしっかりと保てる、
平安に満ちあふれた「渡らず橋」ではあった。
しかし、
空中はるかな高みから一陣の生ぬるい風がさっと吹きつけてきた直後に、
粗野で単純ながらも、
どこか啓示的な一発の雷鳴が殷々と響きわたったことによって、
様相は一変し、
天衣無縫な夜と化すはずだった心浮き立つ気配がいっぺんで吹っ飛び、
天と地が融合してしまったかのごとき、
ただならぬ感情が一挙に巻き起こされ、
過ちの上に過ちが重ねられたかのような、
そんな不安がざわめいた。
とたんに天気は機嫌を損ね、
月も星もない暗黒の空となり、
すべての事態と成り行きが緊要の問題へと一気に傾斜し、
情の衣を纏っているはずの未来が不可知きわまりない色に染まり、
「常ならぬ幸福」という身も蓋もない真理が幅を利かせ始め、
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『水葬は深更におよび』75頁)
『水葬は深更におよび』というタイトルだが……
「水葬」と「深更」という漢字二語の並びの格好よさ、
「におよび」という文の途中で終わる言葉から連なる物語が期待されてくる。
「深更」(しんこう)、「夜更け」「真夜中」という言葉は初めて知ったが、引き締まった感じの言葉でいいなと思った。