丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』を読む
ー「かくあれ」という作者の思いー
ー「吊り橋」を語る擬人法の面白さー
夫に先立たれた老婆を変えた小さな存在とは……。
それは嵐の夜にやってきたフクロウの雛。
フクロウの雛との出会いをきっかけに変わる老婆。
その変貌ぶりを語る以下の文に、丸山健二の「人間とは本来こうあってほしい」という思いを強く感じる。
もはや亡夫の面影を内心の友とする必要がいっさいなくなり、
そして、
自分が末梢にすぎぬ甲斐なき存在ではないことを、
地表を這う憐れな生き物の仲間ではないことを、
社会への不平不満にあふれた年金生活者ではないことを、
はたまた、
近いうちに夫のあとを追って虚空に消え去るばかりの、
混沌に面したまま滅び去る一介の有機体なんぞではないことを、
存在における普遍的な原理という広い枠組みのなかで、
大きな錯誤に陥ることなく、
翻然と悟った。
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』41頁)
吊り橋「渡らず橋」は、そんな老婆とフクロウを見守る。
そして或る日、夢を見る。
その夢で酔っ払った老婆は「渡らず橋」で転倒して川に墜落。
フクロウも跡を追いかけ溺死……。
そんな夢を見たあと、老婆の通行に気遣う「渡らず橋」の描写が、やはり擬人法を駆使した書き方で表現が面白いし、ユーモアも感じる。
読む者の心に吊り橋の揺れを再現し、それがなんとも言えない不安に繋がっていく。
そして今宵もまた、
いざ老婆が近づいてくると、
内的な親近感ゆえに、
「渡らず橋」はひとりでにおずおずと気遣い、
心のなかにあらずもがなの覚悟が準備されてしまい、
たちまちにして不安の感情に崩れ落ち、
面食らうほどのおぞましい緊張を強いられ、
怖れはいよいよつのり
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』49頁)
ともあれ揺れの幅を最小限にとどめようと、
精根尽くして気持ちをぐっと引き締めにかかったものの、
当然ながらそんなことでどうにかなるはずもなく、
相手が一歩踏み出すたびに横揺れがどんどん激しくなってゆくのだった。
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』50頁)
それにしても老婆のペットのフクロウはどんな種類だったのだろうか?可愛らしいシマフクロウの写真にしたが……。