丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『夢の夜から』を途中まで読む
ー「吊り橋」が語ればうつつの世が幻想の世界へと見えはじめるー
ーこんな風に擬人法が使えるという面白さー
「夢の夜から 口笛の朝まで」というタイトルも心に残るし、青い装丁も、青の栞の紐も素敵な本である。
「夢の夜から 口笛の朝まで」は、おそらく「おはぐろとんぼ夜話」の前あたりに書かれた作品なのだろうか。
「おはぐろとんぼ夜話」の語り手は古びた屋形船「おはぐろとんぼ」。
「夢の夜から 口笛の朝まで」の語り手は見向きもされない吊り橋「渡らず橋」で、その様子はこう書かれている。
金属類にはいっさい頼らず、
蔓のみを材料にした、
今やほとんど見向きもされない吊り橋は、
ひとまず人間に酷似した精神的な枠づけが整ったところで、
誰にも感知できぬ声なき声で自分にそっと呼びかけ、
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」8頁)
人間でないものが物語を語りはじめると、見えない世界があらわになってくるような不思議さがある。
物なのに物ではなくなってくる……
そんな擬人法の面白さが「誰にも感知できぬ声なき声で自分にそっと呼びかけ」という部分にある。
これから不思議な幻想の物語が始まってゆく感がある。
以下の引用部分は「渡らず橋」の、いや作者丸山健二の、人間への思いが伝わってくる。
ストレートに作者が「私」と出てくるよりも、どこか森の仙人様のようなおかしみがある。
思わずどんな話が出てくるのだろう……と聞きたくなる。
それでもなお「渡らず橋」は、
生来の情の深さとあまりに退屈な立場によって、
おのれをこの世に送り出してくれた人間に見切りをつけるような忘恩な真似はせず、
本能によってのみ条件づけられている他の生き物とは大きく異なる、
非常に特異な存在としての人間にどこまでも魅せられ、
まったく融通のきかない灰色の毎日にたいして無言の抵抗をつづける、
人の人たるゆえんとやらに強く惹かれてやまず、
謎がいよいよ深くなるばかりの精神界に戦慄的な認識を抱きながらも、
人間性の内奥にひそむ不気味さをもふくめた全体に取り込まれた。
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」14頁)
「渡らず橋」が一目置いている、フクロウを飼う老婆。
老婆が近づいてくる時の「渡らず橋」の描写も、こういう風に擬人法を使えば、物が物でなくなって生き生きとしてくる。
そして不思議な幻想の世界が見えてくる……と興味深い。
すると今度は、
フクロウのみならず、
「渡らず橋」までもがあからさまに胸をおどらせ、
いつものように自分なりに歓迎の意を表したいと思い、
千鳥足でご帰還する年寄りをいたく気遣って、
蔓の結び目をぎゅっと引き締めた。
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」32頁)