朝顔を見かけない夏
以前ならこの時期、道を歩けばあちらこちらで目にした朝顔。
今年はまだ一鉢も見かけていない。
育てる人が少なくなったのか、朝顔にはあまりに暑すぎる夏となってしまったのか。
私の知っている夏ではないようで寂しい気がする。
以下、正岡子規の俳句より朝顔の句をいくつか。
かれかれになりて朝顏の花一つ
なかなかに朝顔つよき野分かな
朝顔やきのふなかりし花のいろ
「かれかれ」とか「なかなかに」という言葉の語感や色合いが面白いなあと思った。
いぬわし書房のオンラインサロン「自我とは?」
いぬわし書房のオンラインサロンを視聴。丸山健二先生が多岐にわたって話してくれる90分間。
今回も夏バテ対策という軽めの話題からスタート
「自分を見失う」「自分を見失わない」とは?という話。
最近の小説を二作品取り上げ文体についてのコメント。
夏らしい表現と盛りだくさん……の90分。
特に心に残った「自我とは?」の話をふりかえって私的に勝手に思い出してメモ。青字は丸山先生の言われたことのメモだけど、勝手に都合よく解釈している部分が多々かも。
(1)「望んだ自分でない自分」と「望んだ自分」……自分はどこに?
風貌にしても自分の選んだものではない、環境だって自分で決めたものではない。私たちは望んだ自分でない自分と一生付き合っていかないといけない。「望んだ自分」というものが本当の自分なのだろうか?自分は別のところにいるとしたら、二重の人物だということになる。
丸山文学によく出てくるドッペルゲンガーは、こうした思いから現れるのだろうか……と思った。
(2)自分を見失わないように対処するには?青字は丸山先生の考え
たった一人になったときにどうやって過ごすかが大事。
グタッとしてストレス解消をしようと考えがちだが、愚痴りたくなって愚痴を止める者がいない。
また丸山先生は個人の自由を最優先したいと考えているが、孤立した個人であってはいけない。殻に閉じこもってはいけない。
殻に閉じこもると自分が絶対になって、他を認めない。言葉を表現する人にとってはナルシズムに陥るから危険。
大事なことは
人前でリラックスすること。個人に立ち帰ったときに気を抜かないこと。
丸山文学は、よく主人公が立ち去るときに綺麗に掃除して去っていく。私ならここで掃除するなんて思いもよらないのに……と思いつつ読むことしばしば。
「個人に立ち帰ったときに気を抜かない」という精神のあらわれかも……と思った。