丸山健二『千日の瑠璃 終結3』六月二十二日を読む
ー絶望の闇ー
六月二十二日は「私は暗がりだ」で始まる。
以下引用文。「暗がり」にこめられた悲しみに、そこがもうこの世ではない気すらしてくる。
誤って人を轢き殺したことがある女
そんな彼女が好んで佇む
街灯と街灯の死角に生じる
ありきたりな暗がりだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』258頁
以下引用文。深夜に徘徊する妻、その姿を見守る夫。妻の絶望感、やりきれない悲しみが伝わってくる。
同時に「電柱十本分くらい」という表現が入ることで、妻の歩く風景がリアルなものに思えてくる。
でも「電柱十本くらい」とはっきり言いながら、同時に曖昧でもあるイメージを用いることで、悲しみがふつふつと感じられてくる。
自宅から電柱十本分くらいの距離を俯き加減にてくてくと歩く妻の目は
どこまでも虚ろで
ほとんど何もみておらず、
果たしてそこがどこであるのか
そうやっている自身がいったい誰であるのかという
常識的な認識すら怪しく、
のみならず
生の原動力の大半が
すでにして溶解しているのでは……。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』259頁)
ただ最後、世一にぶつかって女が無様な格好をとるとき、急に場面が生き生きと明るくなるのが不思議である。