丸山健二「我ら亡きあと津波よ来たれ」下巻を少し読む
ー量子力学&パラレルワールドの影響から生まれた丸山健二文学のドッペルゲンガーの面白さ!ー
丸山先生になぜドッペルゲンガーがよく作品に出てくるのか質問したことがある。
丸山先生がドッペルゲンガーを書くのは、量子力学の影響が大きいらしい。
なんでも量子力学には、この世界が無数にある……というパラレルワールドの考えがあるそうだ(うろ覚え)。
この世界が無数にあるなら、もう一人の自分というものも確かにある……という思いからドッペルゲンガーを書かれているらしい。
(ぼんやりした、うろ覚えの理解ではあるが)。
複数のページから一部ドッペルゲンガーの箇所を以下に抜粋した。
パラレルワールドを確信する丸山先生が書かれるドッペルゲンガーは、やけにリアル。
パラレルワールドの書き方も面白いと思う。
でもドッペルゲンガーと自分には微妙な差異がある。自分とドッペルゲンガーの違いを見つめ書いた作家というのは、あまり他にいないのではないだろうか?
げんに、
誰あらぬこのおれに化体し
真の自由への脈略をつける過程で頓挫した
知能も志も背丈も低いそ奴は、
紛うことなき死者のくせに
もっと大まかな言い方をすれば
<命を持たぬがらくた>であるにもかかわらず、
死者としての存在を拡大解釈しつつ
生者との境界を突き崩し、
本来生と同等の意味を持つはずの肉体から
魂の自由という権利をみずから剥奪して
あとはもう遺棄するしかない
無用なはずの身体を取り戻していたのだ。
(丸山健二「我ら亡きあと津波よ来たれ」下巻478頁)
呼吸音のみならず生きている人間そのものの臭いまで放ち
(丸山健二「我ら亡きあと津波よ来たれ」下巻478頁)
あの世とこの世のどこの存在でもなく
恐れ入るほかない精緻な色合いの幻影の
(丸山健二「我ら亡きあと津波よ来たれ」下巻483頁)
そうやって差し出される罪に関した言葉に大きな食い違いはなくても
実像としての本人のそれとは微妙な差異が感じられ、
たとえば、
前後の文言からして
地位や名誉という無化の宝以下の
死んだ価値を引きずっていることは確かで、
こちらの版元が出している丸山作品はどれも非常に幻想味があって好きなのだが、もう版元には在庫がないとのこと。
日本の古本屋にもあまりない。
だが図書館には比較的多く置かれているようだ。
幻想文学好きの方、丸山文学ファンの方が、図書館でこちらの版元の丸山作品に出会いますように。