丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー躍動感の秘密を考えるー
「半透明の荒馬」「夏の真昼時であっても闇」と詩的な言葉が続いた直後、「人体の組織で構成された〈煩悩の富者〉」と理科の言葉と詩の言葉が合わさったような表現がくる。
科学的な表現が混ざることで、詩的な表現が強調されるようにも、逆に科学的表現の面白さも感じる。
「はてさて」「引っ提げて」という言葉からユーモアが漂い、「亡霊が横行闊歩する」「あの世への 強引な勧誘」とどこかブラックユーモアめいた表現が心に残る。
「死」と「詩」を語る言葉にユーモアを混ぜることで、文に躍動感が生まれている気がする。
半透明の荒馬に颯爽と跨った 夏の真昼時であっても闇に近い印象をけっして弱めない
どこまでも魂の救済者を装って止まぬ 人体の組織で構成された〈煩悩の富者〉が
はてさていったい何を引っ提げてやってくるのか おおよその見当はついても
果たしてそれが死そのものであるかどうかについて 今はなんとも言えず
ひょっとすると 寂滅為楽とはまったく無関係にして亡霊が横行闊歩する
要するに この世と大差ないあの世への 強引な勧誘なのかもしれず
(丸山健二「風死す」179頁180頁)