なぜ教育委員会の人は文を書くのが苦手なのか?
定時制高校で働いていた頃、不思議に思ったことの一つ……。
教育委員会の人たちは大量の通知文書を作成するのに、なぜか自分の言葉で文章が書けない……ということ。上手、下手ということではなく、ほんとうに文章を書くことができない……と思った。
勤務していた定時制高校では、卒業式に発行する広報誌に教育委員会からの「卒業おめでとうございます」の文を毎年掲載していた。その関係で10月に1月初旬あたりの締切で頼む………。
だが1月下旬になっても原稿があがらず、教育委員会の人どの人もナンダカンダと理由をつけて締切をひたすらのばす……が毎年の恒例。
勤労青年も多い定時制高校の卒業式への祝辞、書くネタはたくさんあるだろうに。なぜか言い訳ばかり、ひたすら締切を伸ばす……。
教育委員会の人は文を書けない……と思った理由、その二。各学校のホームページの校長挨拶は、普通の学校は4月中旬には更新される。
だが教育委員会から4月に赴任した校長がいる高校(教育委員会の人が校長になるのは、たいていすごい名門校だ)は、まだ校長挨拶が更新されず空白のままである。
なぜ教育委員会の人たちは、こうも文章を書けないのだろうか……と考えるうちに、文章を書く行為というものが少し見えてくる気がした。
文書を大量作成する教育委員会の人にとって、文をつくるとは文科省から降りてきた決定事項を漏れなく伝える伝達ミッションでしかない。文書作成のときには自分という存在は無色透明にして、ひたすら優秀なメッセンジャーたらんとする……のだろう。
でも本来、文章を書くということは、「卒業おめでとう」のように小さな文にしても、自分の内心を伝えるという行為。自分という核がないと言葉にまとまっていかない。
ふだん透明人間になって文書を大量生産してきた教育委員会の人たちにとって、伝えるべき文科省の伝達文もないシチュエーションで、思いを少しでも伝える……という行為には恐怖に近いものを感じるのかもしれない。
教育委員会の人たちの逆路線をいって、国からの言葉を忠実になぞるメッセンジャーなんて真っ平!と逆らおうとする精神から、もしかしたら文章の雛は生まれてくるのかもしれない。
丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」を読む
屋形船おはぐろとんぼが河辺の墓地に感じる妖しい雰囲気に、死がぐっと近いものに思えてくる。
生年も没年も不明のままのの古い墓が
いつもながらの非常に艶かしい燐光を発している
そのかたわらを通過する時には
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻355頁)
その直後に生と死の入り乱れた関係が示唆されて、自分がいるのはどっちなのだろうか……という思いにかられる。乱打される生と死の響き……それが丸山文学の魅力の一つだと思う。
生と死の密接な結び付きが
隠された意図を明らかにできぬまま
その意味を灰と化したように思え
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」上巻356頁)
「うたで描くエポック 大正行進曲 福島泰樹歌集」を読み終わった!
大正時代にこんなに激しい思いを抱いて短く散っていったアナーキスムの作家、画家、俳人がいたとは……。彼らの笑顔、無念が伝わってくる歌集だった。短歌にあまり関心のない方も、大正という時代を知ることのできる素晴らしい歌集だと思う。
最後の章「髑髏の歌」より有島武郎情死を詠んだ福島先生の歌を二首、次に引用させて頂く。
腐乱して垂れ下がってる揺れている牡丹の花と謳われし女(ひと)
ぽたぽたと白い雨降る変わり果て牡丹の花や髑髏となりし
跋文に福島先生が記されていた文が心に残る。
「歴史とは、それを意識する人々の中に、常に現在形として在り続ける。それが。一人称誌型にこだわり、歌を創り続けてきた私の実感である」
まさに目の前に、歌の中の人たちが現れるようなひとときを体験した。これまで知らなかった大正という時代を、短歌の力を、この歌集から教えてもらった。