丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」下巻を少し読む
ー悲惨さから広大無辺へ、小さな命の輝きへと視線を向けさせてくれるー
環境破壊、繰り返される戦争……このままだと人間そのものが、みずから自然消滅していってしまうのではないだろうかと憂鬱になる昨今である。
丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」でも、戦死した者たちの悲惨を下記引用文のようにピシャリと書いている。
戦死者からのいっさいの意味を奪い去り
行き場を失くしたかれらの魂をほったらかしにし
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」256頁)
だが丸山文学の素晴らしさは、徹底的に糾弾はしても、読み手の視線を悲惨さから、もっと広い存在へと向けさせる点にある。
先ほどの引用文のすぐ後には、空を語る文がつづく。下に引用した「始まらんとする命が何よりもまず天をふり仰ぐのもそのせいで」の言葉に、私の視線も思わず上を向いてしまう。
その次に「天体の輝きを彷彿とさせる」と天と繋げるようにして、小さな甲虫の命を言葉を尽くして書く。
私の心の中で、人間である悲惨さ、空の無限、小さな甲虫の輝きが、ひとつになって浮かんでくる文である。
忌避しえぬ未来にしっかりと食いこんでいる
青い球形の
ひょっとすると存在と無の境界かもしれぬ
現世の天蓋としての空は
かならずしも逃れる術もない束縛の世を象徴するものでもなく
そうではなくて
重力の薫陶よろしきを得た万物が持ちつ持たれつの関係にあることをそれとなくほのめかすものであり
また
つぎからつぎへと湧きあがる傲慢な欲望を吸い取る受け皿としての役目もきっちりと果たしており
時代が一新され
刷新されつづけるのはひとえにそのせいで
始まらんとする命が何よりもまず天をふり仰ぐのもそのせいで
はたまた
今回の平和はたんに言葉だけのものではなさそうだという
人間の無能さにもとづいた
毎度お馴染みの錯覚が堂々とまかり通っているのも
じつはそのせいなのだ
華々しい引退をもくろむ天体の輝きを彷彿とさせる
色とりどりの宝石をちりばめた黄金の王冠のごとき反射光を放つ鞘翅【さやばね】をいっぱいにひろげ
凄まじい勢いでそれをぶるぶるとふるわせながら
恐るべき不羈【ふき】の力を発揮し
ひとつ間違うと命取りにもなりかねぬ熱風に逆らって果敢に飛ぶ甲虫のたぐいは
目が覚めるほど美しい光芒を辺りに拡散させることによって自然の非情な部分をぐっと和らげ
蜂とはひと味ちがう重厚な羽音を響かせることによって悪だくみとは無関係な軽微な罪を赦し
夢見るような曲線的な飛行をもってして
生きているだけで事足れりとする柔和な雰囲気を押しひろげる
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」258頁〜260頁)
丸山先生は諸々にNOと言い、糾弾し続けたせいで、色々と失ったものも多かったと思う。
それでも否と言い続けてくれることに、読む者の目に、広大無辺な天空から小さな命の美しさを、言葉であらわしていってくれることに、ただ感謝しつつ読む。