丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『口笛の朝まで』を途中まで読む
ー自然を感じる心の大切さー
「夢の夜から 口笛の朝まで」に収録されている最後の短編である。
吊り橋「渡らず橋」のもとに故障した車を押す青年が現れるところまで読む。
冒頭の自然描写は、ずっと信濃大町にこもって暮らしてきた丸山先生でないと書けない文だなあと思う。以下紫字は引用。
真冬の夜の凍てつきがほとんど限界まで煮詰まり、
霜柱がもはやこれ以上伸びないところまで冷え込むと、
輝度によってさまざまな等級に仕分けされた、
寒天にひしめく色とりどりの星々が、
華麗なそのきらめきでもって有効な警告を発することをいっせいにやめたかと思うと、突然がらりと語調を変え、
(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『口笛の朝まで』274頁)
私には、霜柱が伸びるなんて発想もなければ、ひしめく星々が語りかけるという夜空も想像できそうにない。
そもそも霜柱なんて、最近ほとんど見た記憶がない。
己の感性から、自然を感じる心が欠乏していることをしみじみ思う次第である。
丸山先生に指導してもらっていると、よく「その季節に咲く花は?」と問われてくる。
その都度、私の住んでいる東京近郊と信濃大町では咲く花のカレンダーのズレを感じたりもするが……。
ともあれ自然を身近に感じられない環境、感じない心は、文章を書くときにハンディキャップになるようにも思う。
いつかも指導してもらっているときに、菜の花の花吹雪……なんて文を書いたら、丸山先生は「菜の花は花吹雪にならない、落ちるものだ」と苦笑いされていた。
自然に乏しい環境で感性が鈍磨していることを反省しつつ、菜の花が花吹雪になったら綺麗なのに……と懲りずに夢想する。