拙い歌ですが……「ゆりかもめ」の歌
今日、提出した私の歌は
ゆりかもめ夢寐(むび)貪るなぬくぬくと哀しみたゆたうフクシマの海
これだと、「ぬくぬく」がかかるのが「ゆりかもめ」なのか「フクシマの海」か分かりにくいと言う助言をもとに、以下のように一字開けてみました。
ゆりかもめ夢寐貪るなぬくぬくと 哀しみたゆたうフクシマの海
あとで書きますが、二年半前に書いた短文の一節「夢寐をむさぼっている」を思い出し、口ずさんでいるうちに「ゆりかもめ」と言う言葉が浮かんできました。
「ゆりかもめ夢寐貪るなぬくぬくと」と考えたところで、「ゆりかもめ」とは?と自分でも考えてみました。
福島の海辺にいる鳥に向かって語りかけているようでもあり……
原発から離れたところで呑気に暮らしている自分に向けての自省の呼びかけでもあり……
また東京都民の足となっている交通機関「ゆりかもめ」を思い出し、福島の犠牲のもとに生活を営んでいる首都圏の人々に「ゆりかもめ」と呼びかけているようであり……。
「夢寐貪るな」という言葉が「ゆりかもめ」の風景を、「ぬくぬくと」と言う自嘲する心象を自然と運んできたように思います。
「夢寐」とは日本国語大辞典によれば「眠って夢を見ること」とあります。「ムビ」も「ユメ」も語数は同じですが、「夢」だと「希望にあふれる夢」とか未来につながってしまいそうなので、純粋に行為を表す印象のある「夢寐」にしました。
福島先生は初心者の短歌にも寛大で、「ぬくぬくと」と「たゆたう」の語の響きの呼応が面白い、「ゆりかもめ」の比喩が面白いと優しい言葉をくださり、自分では気がつかなかった見方を発見。
言葉をつかって表現するなんて思ったこともなかった私が、ひょんなきっかけから丸山健二塾に入ったのが2年半前。
最初の課題「40字以内で見たこともない日本語をつくる」という課題で作ったのが「夢寐をむさぼっている」という以下の表現でした。
「見たこともない」とは程遠いですが、文章に自分を託すヨチヨチ歩きの第一歩を踏み出したのだなあと懐かしい気がします。
テトラポットの上の磯鵯(イソヒヨドリ)は
歌うことも忘れて
波音に頭をゆらして
夢寐をむさぼっている
丸山先生は「夢寐をむさぼっている」の「むさぼっている」に続くように、次の文を書きなさい……と言われ、そんなふうにして無限に文を重ねてゆくうちに、初めての短編がとりあえず完成。
そんなことを懐かしく思い出し、「夢寐をむさぼっている」とハミングするうちに、「ゆりかもめ」が、「ぬくぬくと」が、「フクシマの海」と言う言葉がニョキニョキ生えてきて、散文とは全く違うこの歌ができました。
丸山先生は「ストーリーを考えてはいけない。言葉がストーリーに連れて行ってくれる」とよく言われます。この歌も「夢寐をむさぼっている」と言う言葉から、自然に「ゆりかもめ」が、「フクシマの海」が浮かんできたような気がします。
こんなふうにして言葉と戯れる丸山健二塾で過ごす丸山先生との時間。
勝手に好きな作品を翻訳するだけで、文章表現とは縁遠かった私でしたが……。
おかげで小説だけはなく、短歌の世界にまで冒険してみる気になったような気がします。
丸山先生にも、福島先生にもひたすら感謝です。
(丸山先生の塾はいぬわし書房の方で、福島先生の短歌創作講座は早稲田エクステンションエンターで、文学講座はNHK青山で受付けています)