丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー人間という複雑怪奇な生き物を言葉にするとー
屋形船おはぐろとんぼに転がり込んできた女と不自由なところのある女の子供。
船頭の大男が女とわりない仲になってゆく様子を、おはぐろとんぼが語る言葉の紡ぐイメージの面白さ。
わかりやすい文にしてしまえば、うんざりするような展開だろう。
でも言葉の力によって陳腐さが消え、ただ人の心の不思議さにうたれるばかり。
例えば、押しかけてきた女に夢中になってゆく大男の関係は
その関係たるや
緑林の奥で立ち腐れになってゆく
ぼろぼろの空き家……
沈んだばかりの太陽の下で
だらりとぶら下がった素干しの魚……
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」159頁
どうしても離れることのできない二人を、死のイメージを重ね、美しく書く。
死ぬ直前まで減じない
人生そのものに受ける痛手……
しずしずと進む葬列と一対をなす
ぴかぴかの銀盤の月……
そういったもののように
いつまで経っても付きまとい、
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」161頁)
大男と女の幸とは縁遠いこれからを暗示する言葉も、そこまで幸せに縁遠い人生なのか……と心に残る。
踊り狂いたくなるほどの
一世一台の夜が訪れるどころか
食べ残しの弁当を開くや胸にそっと宿るような
その程度のささやかな平安すら得ることもあたわず
(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」162頁)