さりはま書房徒然日誌2023年10月21日(土)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー丸山文学の四つの魅力が織り込まれた長いワンセンテンス!ー

津波を生きのびた青年は、死せる自分のドッペルゲンガーに出会い、その姿に過去の映像を見る。義母の介護にヘトヘトになり、ついに殺めてしまったことを。そして飛び出していったことも。

次の引用箇所は、長いワンセンテンスである。

出だしの表現の美しさに釣られて読み、さらに丸山先生らしい国家や社会への見方に頷きながら読む。
最後のあたりは哲学的な部分も多く、私にはよく分からないながらも、「物分かりのいい現実」とか面白い表現に思わず読んでしまう。

この長い一文には、丸山文学の三大魅力、表現の美しさ面白さ、国家や社会に流されない目、哲学的な文がすべて織り込まれているのだなあと思う。

全部わからなくてもいいから、その魅力のうちどれか一つでも感じて読み進めてゆく……のが、後期の丸山文学を読むポイントになるのかもしれない。

それから「さらさらと流れゆく者」も、丸山文学に度々出てくる魅力的な存在で、理想とされるような生き方だろうか。
「さらさらと流れゆく」生き方に魅力を感じるかどうかが、丸山文学を好きになれるかどうか……なのかの分かれ目になるのかもしれない。

とはいえ、

目を奪わんばかりの推進力をもって
月が夜を織り
日が昼を織るなか、

経済という名の化け物が
有無を言わせぬ強大な力を発揮して
仕事にあぶれた者たちを等しく根絶やしにするという、

上層階級のふところを肥やすだけの政策を遮二無二達成したがる
国家の統治者という、

資本主義体制において随時行われている
法律の空洞化という、

お上の統制下にある真理にしか仕えられない
親譲りの愚民という、

市場価値を持たぬ者に対しては即座に心を石にしてしまう
冷血な吝嗇家という、

そんな理不尽かつ過酷な社会情勢などいっさい度外視して
さらさらと流れゆく者にとっては、

たとえ
どこの地であっても、

よしんばそこが
資本家どもの驕りと
それに付帯する利潤の容赦ない争奪の場である
花の都とやらであっても、

人里離れた辺境という
さびれきった印象が強調され、

そのせいかはともかく、

標準的な意義を宿す生涯の始点と終点にも、

より明確な形であの世と境を接するこの世にも、

物分かりのいい現実から切り離された良風美俗にも、

合目的性などまったく不必要な生き残り競争の激化にも、

独力でおのれを守る理想的な自己完結性にも、

斬新かつ絶大な慈しみの再発見にも、

まったく興味を持てなくなってしまった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻438頁)

さりはま の紹介

更新情報はツィッター sarihama_xx で。
カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 タグ: , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Time limit is exhausted. Please reload the CAPTCHA.