丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー図形の比喩、かけ離れた言葉での比喩がイメージを広げる不思議ー
以下引用箇所も主人公の犯罪者にして詩人、末期癌患者の20代の心の言葉である。
丸山作品の中には、時々、図形が思いがけないところで比喩のような形で使われている。図形の比喩を用いることで、なぜか心に不思議なイメージが喚起される気がする。
「仮象の円弧」「流線形の決断力がますます冴え渡って」図形には人智を超越した、宇宙的な力があるのだろうか……無機質な筈の図形が豊かなイメージを生み出す事実に驚く。
それからもう一つ、かけ離れた語と語を用いる比喩を眺めていると、その言葉同士だけで一つの物語が生まれる気がする。
以下引用の「偽装染みた今生」「硫酸化鉄の青を想わせる色相の天空」「苦い思いのすべてを浮かんだ端から布のようにして気持ちよく裁断できる」とか……。
私は丸山塾で語と語が離れすぎていると「ぶっ飛びすぎている」と言われ、あまりに陳腐な語と語だと「語が弾けていない」と言われ……難しいものである。
このくらいの表現なら、語がかけ離れていてもOKなんだな……と、どこまで散文でジャンプできるのか探りながら読むのも楽しい気がする。
あくる日の夜明けまでには 見事なまでに美しい 仮象の円弧を描きながら
まだるこしい永遠を前提としてどこまでも回転する 偽装染みた今生を
なんとか無事に迎えられて 硫酸化鉄の青を想わせる色相の天空を
どうにか振り仰ぐことが可能になったものの ただそれだけで
(丸山健二「風死す」1巻70頁)
苦い思いのすべてを浮かんだ端から布のようにして気持ちよく裁断できる
流線形の決断力がますます冴え渡って 非業の死を遂げる最期に憧れ
(丸山健二「風死す」1巻89頁)