篠田真由美「螺鈿の小箱」より「人形遊び」を読む
ー聖女と人形をテーマにした幻想短編を二度読みするー
螺鈿細工は持っていないけれど、螺鈿の妖しい光は好きである……という理由で、タイトルに惹かれて本書を開く。
怪奇幻想短編が七篇おさめられている。
まず冒頭の「人形遊び」を読む。
乱歩の「人でなしの恋」を読んで、文楽を観に行くようになった私としては、「人形」テーマの幻想譚は嬉しい。
興味惹かれて読み始めれば、アッと驚くラストに思わず二回読んでしまった。
それぞれの登場人物の語りで話しが進行する。最初は、抱きかかえた人形に亡き母から聞いた聖女たちの受難を聞かせる娘。
思わず私も一緒に聞いている心地になって、素直に娘の語りに耳を傾けてゆく。
聖女たちはこんなに惨たらしい受難に遭遇したのか……。
語り口から、作者の聖女たちの歴史への関心の深さと同時に、宗教の残酷さを厭う気持ちが伝わってきて、思わず素直にウンウンと頷いて読んでしまう。
語り言葉で進行してゆく物語の場合、時々、ちょっとしたところに作者の素顔が感じられることもあって、その視点が相入れない時は読み続けられなくなるものだ、私の場合。
だが、「人形遊び」は聖女たちへの視点、聖女たちになれなかったその他大勢の人を思う視点、ひとりで生きていかなければいけない若くもない女の視点……と語りに素直に耳を傾けたくなるものがあった。
てっきり最初はどこか外国が舞台なのか……と思いつつ読んでいたが、舞台は西伊豆と出てきたので驚く。
ひとけのない奥まった地……というイメージには西伊豆はピッタリなのかもしれない。平坦地が少ないから洋館を建てるのは大変な気もするが……。
ラストは誰なんでしょうね。
誰であってももっともであるような、其々に切ない理由がある気がした。
あとに残るのが不思議さ、切なさ……であって、嫌な後味でないのが私的にはよかった。
それにしても文楽人形にしても、人形の果たす大きな役割は「ころりと落ちる首」……(文楽では、首桶に入れておいた首をすり替えておく……とか生首トリックが出てくる)
首が落ちるのは、人形の宿命、それとも人形の象徴なのだろうか?