変わりゆく日本語の風景ー釜飯ー
先日、福島泰樹先生の「人間のバザール浅草」講座を受けたとき、何気なく雑談で、私たちが昔からあるように思っているけれど、中原中也の青春時代にはなかった……という食べ物を幾つか教えてくださった。
今日は、その一つ「釜飯」について調べてみた。
今では日本中どこに行っても見かける釜飯である。駅弁にもなっている。さぞ昔からあったのだろう……と思っていた。だが福島先生が言われたように、比較的近年になって登場した食べ物なのだ。
世界大百科事典で「釜飯」を調べてみると、関東大震災以後に登場した食べ物なのである。
本来は、釜で炊いた飯を飯櫃 (めしびつ) などに移さず、直接釜から取り出して食べるのをいうが、小さい釜型容器に盛り込んだ駅弁などを釜飯と称するように、釜飯の語意は二義ある。一般に釜で飯を炊くようになったのは明治以降で、共同生活の食事や給食などは大釜で飯を炊いた。そこで、同じ釜の飯を食べた仲間はお互いに親近感がある意が転じて、同じ職場で働いた者の意にも用いる。関東大震災(1923)直後の焼け跡で、ありあわせの釜で炊いた飯を、釜からじかに、または器に移して食べた人が多かった。これにヒントを得て、まもなく1人前用の小さい釜を用意して種々の変わった具を入れて炊くのを釜飯と称するようになった。それを専門または売り物にする業者ができ、その後、釜飯を一度に数多く炊く専用の炊事器もできている。また、陶器の釜型容器に種々の炊き込みご飯を詰めての市販品は、全国各地でみられる。
日本国語大辞典で「釜飯」の例文を調べてみると、少ない。わずか一つしかない。
「天下に釜飯くらゐ旨いものはないと言ってる」
(縮図〔1941〕〈徳田秋声〉)
関東大震災(1923年)以前には、どうやら釜飯はなかったらしい。