文学的才能についての丸山先生の「真文学の夜明け」にある言葉は当たっている……と思った
ミステリ読書会をひらくようになって数年。
ありがたいことに、たまに小説の書き手の方々も参加してくださることもある。
そうした書き手の方々を見ていると、丸山先生が「真文学の夜明け」という本の中で書かれている以下の文は、まさにその通りだと思う。
狂気と正気のあいだをひっきりなしに往復する際に飛び散る火花を
異様に素早い言語中枢の働きによって捉えることが可能な者こそが
まさしく文学的才能の持ち主というわけで、
もっと具体的に言うならば
生来饒舌な人間が適しており
それが基本中の基本となっている。
(丸山健二「真文学の夜明け」182頁)
丸山先生もどんな質問や相談をぶつけられても、言葉が途切れることなく、溢れるように次から次へと答えてくださる。
読書会に参加してくださった書き手の方々も、言葉が湧き出る泉のようにスラスラと出てくるのに驚く。
おかげで小説の書き手の方が参加してくださると、心地よい饒舌を愉しむことができる。
引用文は以下のように続いてゆく。文学者のイメージはこうだけど、実はそうではないんだ……という趣旨の文である。
一般的に文学者というのは
寡黙で
瞑想に耽りがちで
人間嫌いで
内向的に過ぎ
女々しく
破滅的で
いつ自殺してもおかしくないような
そんなイメージが固定しており、
(丸山健二「真文学の夜明け」182頁)
今回参加してくださった二人の書き手は、他の参加者が職場で日の丸を拒否したらどうなったか……という顛末を話したところ、二人ともパチパチと拍手してくださった。
あまり読書会でのことは書かないようにしているのだが、これからどうなるのか先行き不明な、暗い世において、書き手が強い視点を失わない姿に光明を感じて嬉しくなった。
そしてそういう書き手たちの作品、ぜひ読んでみたいとも思う。