さりはま書房徒然日誌2023年8月7日(月)旧暦6月21日

移りゆく日本語の風景ー街路樹ー

大阪は……と言っても文楽劇場界隈から難波にかけてだけなのかもしれないし(東京も木を切りたがる知事がいるから同じようなものだが)、どうも街路樹が寂しい街のような気がする。

どういう事情からかなのかは余所者には分からないが、根本から切り倒された街路樹の痕跡だけが点々と続いている悲しい通りもある。

街路樹が残っている通りにしても、どうも出来るだけ小さく切り詰められていたり、あまり手入れがされていない感じがある。

安全に、交通の妨げにならないように街路樹の手入れをするには財源も、意欲もいることだろう。自治体の財政状況もあるだろう。

しかし緑の貧弱な都市は、その都市の政治をあずかる人の心を反映しているような気もして、実に寂しいものである。

写真は、埼玉県所沢市の航空公園がある界隈である。文楽の地方公演で訪れたとき、堂々たる街路樹がつづく美しさに圧倒された。

ただジャパンナレッジの日本大百科全書で調べてみると、「難波の街路にクワが植えられたと日本書紀にある」そうだ。クワの街路樹が緑陰をつくる大阪の街……なんて、今では想像もできないが、そんな風に緑を愛しむ心の人がこの街を治めていた時代もあったのだ……。

以下、ジャパンナレッジの日本大百科全書の「街路樹」の説明より。

市街地の道路の両側に列植された樹木をいう。

(省略)

 世界でもっとも古い街路樹は、約3000年前にヒマラヤ山麓 (さんろく) につくられた街路グランド・トランクであろうといわれる。これはインドのコルカタ(カルカッタ)からアフガニスタンの国境にかけての幹線の街路であり、一部は舗石を敷き詰め、中央と左右の計3筋に並木が連なっていたという。中国では約2500年前の周 (しゅう) 時代にすでに壮大な並木、街路樹がつくられていた。

 日本の並木、街路樹の起源も古く、『日本書紀』によると、敏達 (びだつ) 天皇(在位572~585)のころ難波 (なにわ) の街路にクワが植えられたとある。聖武 (しょうむ) 天皇(在位724~749)のときには、平城京にタチバナとヤナギが植えられている。さらに遣唐使として入唐(にっとう) した東大寺の僧普照 (ふしょう) が754年(天平勝宝6)に帰朝し、唐の諸制度とともに並木、街路樹の状況を奏上し、759年(天平宝字3)に太政官符 (だいじょうかんぷ) で街路樹を植栽することが決められた。これが行政上の立場から街路樹が植えられた始まりである。桓武 (かんむ) 天皇(在位781~806)時代には、平安京にヤナギとエンジュが17メートル間隔に植えられ、地方には果樹の植栽が進められた。その後、鎌倉時代にはサクラ、ウメ、スギ、ヤナギが植えられている。江戸時代になると、各地にマツ、スギ、ツキ(ケヤキの古名)などが植えられた。

 近代的な街路樹は、1867年(慶応3)に横浜の馬車通りにヤナギとマツが植えられたことに始まる。1874年(明治7)には東京の銀座通りにサクラとクロマツが植えられたが、木の成長が悪く、1884年になってシダレヤナギに植えかえられている。(省略)

 1977年(昭和52)の調査(林弥栄ほか)によると、東京都23区内の街路樹総本数は15万5000本、三多摩地区5万1000本、総計20万6000本である。このうち、本数の多い樹種はイチョウ、プラタナス、トウカエデ、シダレヤナギ、エンジュ、サクラ、ケヤキの順となっている。(以下省略)

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