さりはま書房徒然日誌2023年8月20日(日)旧暦7月5日

移りゆく日本語の風景ー「闘茶」ー

暑さ厳しい日に飲む冷茶は美味しい。
ノンカフェインの麦茶やルイボスもいいけれど、冷茶の緑には一瞬だけ暑さを忘れてしまう力がある。
ずっと私たちの生活と共にあったように思える茶だが、元々は遣唐使の時代に唐から持ち帰られたもの。
荒波をこえて、この緑芳しい飲み物を運んでくれたお坊さんの勇気に感謝だ。ジャパンナレッジ日本国語大辞典によれば、以下のとおり。

日本における飲茶の起源は不明であるが、天平元年(七二九)、聖武天皇が百僧に茶を賜った記事が、明確な記録としては最古のものといわれている。当時のものは唐から帰国した僧侶が持ち帰った団茶であった。これは、茶の葉を蒸してつき、丸めて乾燥したもので、粉にして湯に入れて煎じ、塩、甘葛などで調味して飲んだ。煎じて飲むところから煎茶と呼ばれることもあったが、のちの煎茶とは別物。寺院や上流社会では、薬用、儀式用、あるいはもてなし用として茶が用いられたが、遣唐使の停止以後中絶した。

どうやら古代、天平の頃の茶はとても高貴な方々だけが口にできるものだったようだ。

さて茶の項目を眺めていると、「闘茶」という聞き慣れない、でも強烈なインパクトのある言葉があった。
ジャパンナレッジ日本国語大辞典で調べてみると、「闘茶」とは以下のとおり。

飲茶遊技。本茶・非茶などを判じて茶の品質の優劣を競って勝負を争った遊び。鎌倉末期に宋より輸入され、南北朝、および室町時代に流行した。

どうやら産地や品種を飲み分ける勝負らしい。
飲茶遊技という言葉も、闘茶という言葉も印象的。
闘茶の例文は14世紀から近代に至るまであった。その割には、今まで耳にしたことがなかったのはなぜだろう?

*洒落本・風俗八色談〔1756〕三・艸休茶の湯の事「唐にも闘茶(トウチャ)といふて茶の美悪を論ずる事はありと聞ども」

*随筆・筆のすさび〔1806〕二「三谷丹下は、後に宗鎮と改名す。〈略〉その家にては、茶かぶきは不用、そのかはり闘茶を教ゆ」

*旅‐昭和九年〔1934〕一一月号・首代金廿万両〈正木直彦〉「進んでは又『闘茶(トウチャ)』といふのが行はれるやうになった。これは茶の味を飲み分けるゲームであって」

14世紀からずっと見えていた「闘茶」という言葉がパタリと絶えたのはなぜなのだろう?
それとも茶道には残っているのだろうか?
闘茶」という言葉が醸す心のゆとりを思いながら、「闘茶」の消えた現代を残念に思う。
でも茶葉は気温の影響をダイレクトに受けやすいもの。「闘茶」どころか「茶」の緑が消えてしまうディストピアにならぬよう祈るばかりの暑さである。





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