丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ーただ一つの文に心情を滲ませてー
「私は温泉だ」で始まる十一月十日は、四人の農夫たちがうつせみ山の麓に掘った温泉が語る。
湯に浸かる農夫たちを語り、次に登場するのは丸山先生を思わせる小説家。大事に飼っていたという黒のむく犬まで登場する。
黒のチャウチャウ犬を飼われていたようだが、残念ながらチャウチャウ犬の写真は見つからなかった。黒い犬で出てくるのはブルドッグ、ヨークシャーテリア、柴犬だ。チャウチャウ犬は珍しい犬のようである。
「仏頂面が板に付いた男」が「真っ黒いむく犬」を温泉に入れて洗う場面、どこかユーモラスである。
「バスタオルですっぽりくるんだ犬を抱えて」という言葉にも、先生の実体験が伺えるようで飼っていた犬への愛情が想像できる。(私の芝犬は身震いして、天日干しだったなあ……と反省する)
「どこでもいいどこかへと 混沌の影を落としつつも 大胆不敵な足取りで帰って行った。」というわずか一文に、作者の心情が余すところなく込められている気がした。
小説家であることを地元民にほとんど知られていない
仏頂面が板に付いた男が
ふらりと現われ、
彼は連れてきた真っ黒いむく犬を
私のなかにどっぷり浸けこんだかと思うと
たわしを使ってごしごし洗いながら
「それにしても汚いお湯だなあ」を
さかんに連発した。
そして
自分では入ろうとせず
バスタオルですっぽりくるんだ犬を抱えて
どこでもいいどこかへと
混沌の影を落としつつも
大胆不敵な足取りで帰って行った。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」164頁)