さりはま書房徒然日誌2023年10月13日(金)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー言葉の思いがけない組み合わせを楽しむー

今日も読んだ箇所のあちらこちらから、気になった言葉を抜き出してみる。

こんなふうに、こんなところまで表現してもいいんだ!と思ったところもあれば、丸山先生らしい考えだなと思った箇所もある。

丸山健二塾ではオンラインだけれども、一語一語、一文一文、丸山先生と文の表現を確認してゆく。
「それはぶっ飛びすぎている」「それはわざとらしさが過ぎて嫌みな文である」「それは平板すぎる」……と細かくよく見てくださる。
それでは私がくじけると思うのか、たまにだけど優しく褒めてくれることもある。

そんなことをして何になるのか……と思う方も多いだろう。
芥川賞をはじめ文学賞のコメントを見ても、現在、文体について言及している方はほとんどいない。
大体の現代の文学関係者にとって、文体はどうでもいいことなのかもしれない。

でも短歌の方にとって、まずは文体(歌体?)ありき……のようである。

私が短歌をはじめたと知った知人は、その方の師である歌人、高瀬一誌の教えとして「他人と似ていない歌をつくれ」という言葉を引用されながら、
「歌はつくっているうちに自分の文体ができてくる」とヒヨッコの私にまず教えてくれた。

世間一般の小説と短歌の違いは、こうした文体へのこだわりの違いにあるように思う。

ただ、丸山先生の文体へのこだわりは、短歌の世界に匹敵するところがある。
丸山先生と短歌の福島先生は、指摘が重なる点も多い。
「それは説明的すぎる」とか……これは丸山先生が言ってらしたフレーズだと福島先生の短歌創作の講義でよく思う。

丸山先生は三十一文字をつくる感覚で、三十一文字を連ねるような感覚で、一語一語一文一文を大切にしながら小説を書いているのだと思う。それがわかる読者がとても少ないとしても決して妥協せず……。

丸山塾で指導を受けなかったら、たぶん短歌の世界に飛び込んでみようとは思わなかっただろう。丸山先生や福島先生のおかげで短歌まで世界が広がったなあと感謝しなければ。

浄福や薄幸の接ぎ目となる多彩な偶発

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻311頁)

まったくだしぬけに
比重がでたらめな複雑な感情が湧き起こって


(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻313頁)

世界は因果性の原理に支配されている

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻315頁)

けなげな労働者に対して目も耳も持たぬ搾取の世界を全面的に否定し

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻319頁)

自由は退却するという抜きがたい執念の棘を抜き取り

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻319頁)

歓喜と懸念はいつでも相関的な関係であり

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻321頁)

人は総じて根拠を欠いた存在であるとしながら

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻329頁)

宗教が善へと導くための目に余る不条理にも似た混濁

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻333頁)

精神の突然死

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻334頁)

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