丸山健二「千日の瑠璃 終結2」三月二十一日を読む
ー映像より雄弁に語る文ー
三月二十一日は「私は大波だ」で始まる。「うたかた湖では十年に一度おきるかどうかもわからぬ」大波が語る。
以下引用文。大波が「ありきたりな波と化し」ていく場面。映像なら一瞬で終わるかもしれないし、こんな風に同時にいくつもの存在をいきいきと語ることは難しい気がする。
ひいてゆく波に被せるようにして、オオルリから時代の風潮まで森羅万象を語る文が心に残る。
ありきたりな波と化して
沖へ静かに引いて行く私に付いてきてくれるのは、
丘のてっぺんから絶え間なく迸る
美し過ぎることで却って虚しく響くオオルリのさえずりと、
うつせみ山の禅寺の墓地に葬られてようとしている
長寿を全うした誰でもいい誰かの親戚縁者が漏らす
安堵を込めたため息と、
長身痩躯の若いやくざ者が拳銃の試し撃ちをする
断続的な銃声と、
無欲な暮らしをとことん嘲笑い
辛辣な揶揄を浴びせる
不純な時代の冷笑のみだ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」289頁)