丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ーよく観察している目から生まれるリアリティー
十二月十六日は「私はゴム長靴だ」で始まる。
しかも「少年世一が家族のために丘の麓まで抱えて運んで行く 底に滑り止めのスパイクが打ち込まれた 雪国ならではのゴム長靴だ」とある。
どうやら丘の頂の家に住む世一の一家は、丘の麓の小屋に通勤用自転車とかを置いてあるらしい。そこで靴の履き替えをするのだろう。
そういうスパイク付きの長靴があることも、坂道はそういう長靴で登ることも、長靴を並べた様子がオットセイに見えるという発想も、信濃大町に住まわれている丸山先生の実体験が滲んでいる文である。
その並べ方に満足して独り悦に入って
オットセイの群れに似ているなどと思いながら
上機嫌で口笛を鳴らした。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」307ページ)
以下引用文。人間に関しても、色々な人間を観察してコラージュして文にする……というようなことを話されていた記憶がある。やはり実となる存在が根底にあるせいだろうか、世一を描写する文に迫真性がある気がする。「けらけら」の繰り返し、「ばんばん」という平仮名で表記された言葉も文に動きを出している感じがある。
すると世一は
だしぬけにけらけらと笑い
笑いながら私に平手打ちを飛ばし、
横倒しになった私を見おろしては
またけらけらと笑い、
それからいきなりわしづかみにして
釘の先端があちこちにはみ出している板壁に
容赦なくばんばんと叩きつけた。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」308ページ)